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謎だらけの「川中島の戦い」上杉謙信と武田信玄の戦いの真実とは?

大河ドラマ「真田丸」をご覧になられている方、多いのではないでしょうか?

真田幸村を主人公にしたドラマで歴史好きにとっては非常に人気のある人物ですね。

真田家は幸村の祖父の時代から武田家に仕えていました。

武田家と言えば「風林火山」の旗で有名な武田信玄がいた家です。

 

そんな武田信玄が起こした戦いでもっとも有名なのは川中島の戦いではないでしょうか?

謎だらけの「川中島の戦い」上杉謙信と武田信玄の戦いの真実とは?

学校の授業でも登場した有名な戦いです。

しかし、この川中島の戦いは研究者の間では謎が多い戦いとして知られています。

そんな謎の多い川中島の戦いを紹介いたします。

 

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長い間行われた戦い

川中島の戦いをおさらいしてみましょう。

この戦いは越後の龍と呼ばれた上杉謙信と甲斐の虎と呼ばれた武田信玄の戦いです。

 

領地拡大と海に面した土地を求めていた武田信玄が越後方面に侵略したのが戦いの始まりでした。

上杉謙信はその侵攻先の領主たちから助けを求められたために参戦したと言われています。

 

学校の授業では川中島の戦いは一回だけの戦いのように扱われています。

しかし、実際には5回も川中島の戦いがありました。

年月にして12年もの間繰り返し行われていたのです!

これほどに長い戦いは例がないほどです。

 

しかし、研究者の中には本当にこれほど長い間戦いが行われたのか疑問に思う研究者も少なくありません。

戦いには非常に多くの労力と資金が必要になります。

普通であればこれほど長期化する前に停戦協定なり同盟を結んで長期化を避けようとした動きをとるはずです。

 

国史学者の田中義成は川中島の戦いは弘治元年と永禄4年に起きた戦いのみでそのほかはフィクションであったと結論付けました。

川中島の戦いについては甲陽軍艦(こうようぐんかん)という書物に書かれています。

甲陽軍艦

しかし、甲陽軍鑑は他の史料で確認されている事実や出来事の年代が間違っているなど歴史資料的価値が低いと言われています。

 

あの名シーンは本当は無かった?

川中島の戦いでもっとも有名な場面と言えば、本陣に構える武田信玄に対して単騎で乗り込んできた上杉謙信が刀で信玄を切り付け、それを信玄は軍配で受け止めるという場面です。

様々な映画やドラマでこの場面は使われています。

この場面は物語としては本当によくできていますが実際に本当にあったのかという疑問もあります。

 

この場面は先ほども登場した甲陽軍鑑に記述されている内容です。

甲陽軍鑑は川中島の戦いのかなり後になって書かれた江戸時代の頃の書物です。

また、武田家の家臣や関係者によって加筆や削除を繰り返されています。

そのため、この場面の真偽はわからないのが実状です。

しかし、上杉方の歴史について書かれた上杉家御年譜によると荒川長実という武将が単騎で武田本陣に乗り込み信玄を切り付けたという記述があります。

上杉家御年譜

 

まとめ

謎に包まれた川中島の戦いは歴史好きでなくても心躍るような話がいくつもありますね。

一騎打ちのシーンはやはりフィクションなのでしょうか?

それとも謙信ではないほかの武将が信玄と一騎打ちをしたのでしょうか?

謎が深まるばかりですね。

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